こんにちは。チョコレートを主なテーマに掲げるジャーナリスト、市川歩美です。今日はチョコレートジャーナリストの日々としてお届け。チョコレートの世界にも、私は日本の文化的概念である「ハレ」と「ケ」がある、というお話しです。
ハレとケの境界線はにじんできた
少し、私・市川歩美が日頃から考えていることを綴ってみます。
ハレとケ、とはもともとは日本の民俗学者である柳田國男さんが整理した考え方で、日本人の生活リズムや価値観を説明するキーワードと私は捉えています。「ハレ」は、非日常。お祭りや儀式、特別な日。たとえばお祭りや結婚式には、ハレの日のごちそうや装いがあり、いつもより背筋が伸びる時間です。
一方「ケ」は、日常。いつもどおりの暮らし、普段の食事、何気ない日々のこと。静かで穏やかに繰り返される生活です。この二つは対立しているわけでなく、両方を行き来します。
ケがあるからこそハレがきらめく
私はしばしばこんなことを考えています。
ハレとケの差が大きければ大きいほど、ハレはきらめき、心が躍るのです。ところが今は昔と違って、ハレは年に数度、ではありません。SNS、推し活、ライブ配信、イベント、ハッとさせるような投稿、街中に楽しいことが溢れ、小さなハレが溢れんばかり。しかもそのハレは、以前ほど、ドキドキするような特別感が強いものではなくなってきている気がします。
具体的にいうと、ソファーで眺めているだけで「ハレ」感が得られるサービスだらけです。見ているだけでOK。自分をぶつけたり考えて行動しなくてもそのときに満足できる。リアルな情報発信は、眺めていただけでなんとなくリアルな体験をしたような気になるけれど、よく考えると実は何もやっていなかったかも、ということも少なくない気がします。
ハレとケの差は小さくなり、輪郭もだんだんぼんやりしてきています。そんな時代になっていないでしょうか。
ハレの高級チョコレートは身近に
チョコレートにも、それが現れています。
昔とちがって、今は普段から高級なチョコレートが簡単に手に入ります。昔を知る私からすると夢のよう。SNSを眺めていれば、毎日のようにハレのような投稿や情報が目に入り、私が昔、苦労してヨーロッパから寄せた遠い国の職人が作るボンボンショコラも、産地にこだわったタブレットも、通勤電車の中でだって、ワンクリックで買えるのです。
ここまでハレが溢れ出す時代。逆に私は、ケの存在感や重要度が増してくると思っています。なぜなら、ケがあるからこそハレはきらめくからです。チョコレートなら、スーパーマーケットやコンビニで買えるような、日常のチョコレート、昔からの自分のいつもの、お気に入りがそれにあたります。
チョコレートは時代をうつしだす
SNSをみていると「この人の人生にはケがないのだろうか」というような投稿もあります。しかし少なくとも私にはケの充実こそが重要です。チョコレートも同じ。気兼ねなく買えるおいしくて手軽なチョコレートは、日常生活になくてはならない存在です。
ケのチョコレート(ひいてはケの時間全般)に、私は「すごい!なにこれ!」とびっくりするような非日常性は求めていません。安定的で、静かにやさしく寄り添ってくれ、楽しくて気づいたら気持ちが整っている——そんな存在が、私にはよいのです。
チョコレートは、現代を映し出ます。思い返せば、長年チョコレートと仲良くしてきたからこそ、振り返ると見えることが増えました。チョコレートのハレとケは、実は、パッケージにもよく現れています。この記事の続編として、私が審査員をつとめている、フェリシモさんのパッケージアウォードについて、近々お話しできたらと思います。
text & photo ジャーナリスト/チョコレートジャーナリスト 市川歩美
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