2002年の情熱大陸 青木定治さんが33才のとき

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こんにちは。チョコレートを主なテーマに掲げるジャーナリスト、市川歩美です。

青木定治さんが『情熱大陸』に登場されたのは、2002年のこと。先日録画を拝見してこれはすごい、と感動しました。20年の時を経て、映像が青木さんの原点を残しています。

青木さんは21才のときに、単身パリへわたり、2001年12月にパリ6区にご自身のお店「パティスリー・サダハル・アオキ・パリ」をオープン。お店ができて半年で多くのパリのメディアが取り上げるほどの高い評価を受けています。

今も変わらず、パリの有名シェフでありつづける青木さん。青木さんがパリでお店を開いたばかりの、2002年に、タイムスリップした気持ちで拝見。番組のスクショとともに、ちょこっとだけシェアします。

目次

ランジス市場から始まる朝


毎朝朝6時半に家を出発。青木さんは週に3回、ランジス市場へ足を運びます。パリ市南西郊外にある大きな食品卸売市場で、言わずと知れた「フランスの胃袋」といわれる場所。

「ここに来るのが楽しいんです」と語りながらフルーツをカートで運ぶ青木さんの表情は、どこか少年のよう。素材を見る目の確かさ、そして何より、味への情熱が伝わってきます。

青山「シャンドン」時代

東京・青山にあった「シャンドン」で、青木さんは高校卒業後、3年間の修行を積みます。

今はなくなってしまったお店ですが、今でも私は覚えています。私はクッキーの「タンドルショコラ」や「マビヨン」というケーキが大好きでした。

そして1989年、21歳で単身、パリへ。
持ち前の明るさと行動力で、フランス、スイス、イタリアで経験を重ねていきます。1995年にはシャルルプルースト・コンクールの味覚部門で優勝するなど、コンクールで次々と賞を受賞、それらのすべてが躍進につながっていきます。

33歳の青木さん


これはレア、と思ったので、みなさんにシェア。「情熱大陸」に登場する、33歳の青木さんのスクリーンショットです!

パリのお店や、アトリエの中、パリの街中で。いろいろな青木さんが登場します。

青木さんは2004年2月に抹茶のクリームをいれた抹茶のエクレールを発売し、パリで注目を集めました。

オープン以来の常連客だという、フィリップ・トゥロレールさんが笑顔で登場します。ご近所にお住まいで、青木さんのミルフィーユが大好きなのだそう。

「私がここの常連なのは理由があります。ここがパリで一番なんです。でなきゃ他で食べますよ」とうれしそう。「おいしいな」と話すフィリップさんの笑顔から、信頼と喜びが伝わってきました。

パリでパティスリー界のサダに

番組で、青木さんがパリのジャーナリストたちに直筆の招待状を送り、発表会を開催するシーンが登場します。発表会にむけて、青木さんはこんなふうに語っています。

「ファッション業界でいえばね、本当に、パリっ子に愛されているイッセイさんとかヨウジさんとかKENZOさんとか、ずっと憧れ続けてきた人がいるんですけど、僕もそういう先輩たちみたいに、パリっ子に愛される、パティスリー界の“サダ”みたいな感じで、打ち出していきたいんです」
ー青木定治さんの言葉/「情熱大陸」より

2002年に堂々とカメラに向かって話す青木さんの言葉は、現実になりました。ご存知のとおり、今青木さんは日本とフランス、両方の国で支持されるパティシエ・ショコラティエです。

番組が記録した青木さんの眼差しと言葉には、立ちはだかる困難を乗り越え前に進む人の、強い力が宿っていました。そして「明るさ」が現れ、人柄が滲みでています。放送メディアの力です。丁寧な現地取材、生の声を残した、ディレクターさんは今は大ベテランさんでしょうか、そのお力ももちろんのこと。

鞄ひとつで飛び出し、パリで有名なパティスリー界のサダ、となった日本人の青木さん。(青木さんは、実際にフランスでトップショコラティエさんやパティシエさんに「サダ」とよばれて愛されています)取材などでお会いしてもあまりご自身のことを語られない青木さんですが、私はその姿から学ぶことが多いです。

パティスリー・サダハル・アオキ・パリ

text ジャーナリスト/チョコレートジャーナリスト 市川歩美

追記:
和の著書「チョコレートと日本人」(早川書房・ハヤカワ新書)
107〜108ページに青木さんについて書きました。するとすでに3人の方から「青木さんのエピソードがとても心に残った(一番心に残りました)」という声がありました。多くの人が力をもらえる話です。

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