おばあちゃん、ありがとう。歩美より。
こんにちは。チョコレートジャーナリスト、ショコラコーディネーターの市川歩美です。
今日は、こどもの頃から私を大切に育ててくれた、祖母のお話です。(この記事ではときどき、おばあちゃん、と書きます)
おばあちゃんが、きのう、亡くなりました。94才でした。

実家のお茶の木
私の母は仕事を持っているので、主に、私のめんどうをみてくれたのは、おばあちゃんです。ごはんの支度から、学校の準備まで、なにからなにまで、私はおばあちゃんにお世話になって、かわいがってもらって、育ちました。
私は、いま、こんなふうにチョコレートを仕事にしていますが、その土台を作ったのは間違いなく祖父、そして祖母です。
祖父は、しょっちゅう私にいろんなチョコを買ってくれましたが、どちらかというと祖母は、チョコだけでなく、お菓子全般、お団子や和菓子も好きだったようです。キャラメルや、ビスケットや、ハイソフト、ロールケーキや、チョコとクリームを使ったパンなんかも買ってくれて、同じようなものが好きで、よく一緒にたべたのを覚えています。
小学生のころ。
毎週一回だったかな、おばあちゃんからおこづかいをもらって、習い事の帰りに、お菓子を買っていた時代がありました。そのおこづかいがいくらだったか、今はもう覚えていませんが、私は「制約」の中で、真剣に吟味しました。フルタのセコイヤチョコレートや、森永のエンゼルパイは、その頃の私のお気に入り。夏はチョコの棒付きアイス(名前を思い出せないんですが)をよく買って、あたりが出ると、うれしかったものです。
大きくなるにつれて、私はアルバイトをして、自分のお金で好きなチョコを買うようになりました。
時代とともに、日本に新しいチョコレートがどんどん出てきて、ブルボンの「チョコパルミー」(今は販売されていません)を、おばあちゃんに「買っておいて」と指定して、しょっちゅう一緒にたべた時代もあったし、「チョコパイ」もたくさん食べました。
もう少し大人になったら、もうおばあちゃんの知らない、海外のチョコをひとりで食べるようにもなりました。
おばあちゃんにとって、たぶん私は安心できる孫ではなくて、高校のころ、ぜんぜん勉強しないで、清志郎さんに夢中になっているのをものすごく心配させてしまいました。でも、私が放送局に就職してディレクターになって、憧れの清志郎さんと仕事をするようになったのを、いちばん喜んでくれたのはおばあちゃんです。いろいろ、なつかしいな。
ほんの少しだけですが、おばあちゃんの話を書きました。
私がチョコを人生の「友だち」みたいに好きで、私がチョコの仕事をしているのは、こういう土台があるからなんだろうと思います。家族とすごした時間や、チョコとつながったいくつもの出来事がたくさんあって、いまはもう思い出せないような記憶も、私の中にはあって、
そして大人になってからも、私は多くの方と出会い、たくさんの記憶がチョコとつながり、それらがあたたかでよいものであるからこそ、今、私はこういう仕事を続けていられるんじゃないかと思っています。
おばあちゃんに、みなさんに、感謝をこめて
(やさしくてよく笑う、みんなに愛されるおばあちゃんだったので元気に!)
text
チョコレートジャーナリスト 市川歩美