森永製菓が8月15日で創業123年 森永太一郎が創業

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こんにちは。チョコレートジャーナリスト、ショコラコーディネーターの市川歩美です。

森永製菓が今日、創業123年を迎えました。森永製菓の創業は明治32年(1899年)8月15日です。

今日は、森永の創業者 森永太一郎さんのこと、77年前の空襲で壊滅した鶴見のチョコレート工場のお話ことなどを少し、書きます。

 

目次

森永太一郎が35歳で立ち上げた

 

森永製菓は、1899年の8月15日、赤坂溜池に「森永西洋菓子製造所」として生まれました。

創業といっても、わずか2坪の工場だったそうです。立ち上げたのは、現在の森永製菓の創業者、森永太一郎さんです。

森永製菓の創業者 森永太一郎 (画像提供:森永製菓)

 

太一郎さんは佐賀県に生まれ、24歳のとき、単身サンフランシスコに渡りました。

言葉の壁、人種差別などの多くの困難を不屈の闘志で乗り越えて、西洋菓子を学び、11年後の35歳のときに「西洋菓子を日本に普及する」という大きな希望を胸に帰国しました。それが1899年の6月のことです。

 

西洋菓子の全く馴染みがなかった創業時代

 

太一郎さんが帰国した123年前は、日本で西洋菓子は全く馴染みがなく、洋菓子は殆どの人に受け入れられず、苦労したそうです。今では考えられないことですよね。

 

(森永エンゼルミュージアム MORIUMで撮影)

 

太一郎さんが作ることができた西洋菓子は多様で、西洋キャンディのボンボン、そしてキャラメル、クリームチョコレート、クリームウェハース、マシマロ、ピーナッツタフィー、ステッキキャンディー等。アメリカで作り方を習得した多くの品を作り、販売していました。パンなども注文を受ければ作っていた記録もあります。

 

鶴見のチョコレート工場は戦争で壊滅した

 

森永製菓の創業日は8月15日。終戦記念日と重なります。

第二次世界大戦では、森永も大きな被害を受けました。1945年4月15日には、鶴見工場の上空を通過したB29の焼夷弾によって、チョコレート工場とキャラメル工場が火災となり、壊滅的な打撃を受けています。

戦争によるあらゆる被害の中で、鶴見工場のチョコレートとキャラメル設備の全滅が最も大きなものだったとされています。戦中、そして戦後も、森永は日本にお菓子を伝えるために、会社再建への苦労・努力を重ねてきました。

 

森永エンゼルミュージアム モリウムでは森永の歴史がわかる

 

今の鶴見工場には、現在ミュージアムがあります。誰でも訪れることができます。

チョコレートやキャラメルなど、森永の人気商品のことを楽しく学べたり、工場見学ができたり。森永の歴史がわかる貴重な展示物もあります。

森永太一郎愛用のハサミの展示も(森永エンゼルミュージアム MORIUMで撮影)

 

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私も学び、楽しんできました!

 

鶴見工場の見学のほか、私は森永の最新の研究所の取材もさせていただきました。

ナチュラルなグリーンが配され、心理的な影響が考慮されたBGMが心地よく、お菓子やチョコレートを研究するみなさんが気持ちよくコミュニケーションできる工夫が随所に。私も「ここで毎日働きたい!」と本気で思ったほど、センスのよいすばらしい最新施設でした。

創業者の森永太一郎さん、そしてお菓子の仕事を「産業」に育てた松崎半三郎さん。2人の創業者が、戦中、戦後を乗り越え、そして今の森永製菓があります。

終戦記念日には、私は森永の歴史や、西洋菓子、日本が歩んできた道にも思いを寄せています。

参考記事
https://chocolatejournal.fun/archives/morinagamura.html

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チョコレートジャーナリスト  市川歩美

 

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