こんにちは。チョコレートジャーナリスト、ショコラコーディネーターの市川歩美です
この記事は、9月19日の深夜53歳で亡くなった、フランス・ロワール地方のM.O.Fパティシエ、フランク・フレッソンさんの職人とは、どんな人だったのかを記事にします。
フレッソンさんと15年の交流があり、3年8か月、フランスの本店で仕事を任されていた、本間友梨さんからのリアルな話を中心にまとめました。
忖度なし、オープンにしたくない話もあるので、限定記事です。
厳しい職人だったM.O.Fパティシエ、フランク・フレッソンさんと、フランスでパティシエ・ショコラティエとして働く本間友梨さん(元グラッシェルのシェフ)の大切な話。
あの素晴らしいチョコレートの向こうにある、職人の厳しい生き方、本物の優しさをとは。
人を育てるということは。フレッソンさんが、ルレ・デセールを辞めた理由は。
きっと皆さんが知らないことばかりです。素晴らしい話は、手を伸ばした人には届いて欲しい。私の心が震えたように、チョコレートに関わる人になら、心に響くと思います。
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*本間さんと私にまじってお喋りするお茶代くらいなのでお気軽に。
*取材・執筆:市川歩美
なんでいってくれなかったのか
ー本間さんと私がやりとりしたフランス時間の20日の夜。以下、私=本間さん。
私が、合計3年8ヶ月つとめた「フランク・フレッソン」をやめたのは、昔の厳しいフレッソンさんを知っていたからかもしれません。
私がフレッソンをやめたときの話です。あるとき、私はフレッソンさんと「なんで、もっと厨房にいてくれないんだ」というぶつかり方をしました。ラボで起きる問題が色々ある、そういうことに、以前のようにもっと毎日厨房にいて目を向けてください、なんで目を向けないんですか、と。
真っ向からぶつかる私に、フレッソンさんは、前みたいに言い返してはきませんでした。私の話に、そうだな、といって聞いていた。
私は「もう私が店の方針やシェフのやり方と合わなくなっているなら、お互いのためにならない」と考えて、職場を去ることに決めたんです。
でも、思い返すと、その時からフレッソンさんは、体が悪かったのかもしれません。(つづく)