台湾のカカオの歴史は?「森永村」や台湾のチョコレートについて

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こんにちは。チョコレートジャーナリスト、ショコラコーディネーターの市川歩美です。

2019年4月に台湾南部のカカオ産地を取材、台湾のチョコレートやカカオ、「森永村」という村を取材し、東洋経済オンラインで記事にしました。

現在も、台湾のカカオについて知りたい方が、アクセスしてくださる記事です。今もご連絡をいただいたりと、長く参考になる記事だと思いますので、改めて記事をリンクします。

森永村とは?と思った方へ。私の取材こぼれ話なども伝えます。

目次

台湾のカカオの歴史記事

まず、台湾とカカオについての記事をリンクします。以下、メディアは東洋経済オンライン、取材・執筆は市川歩美(私)です。

台湾のメディアでも翻訳・掲載されたりと、台湾でも話題となったようです。台湾の方や、台湾在住の日本人の方からご連絡をいただいたりと、いまも反響があります。

台湾のカカオの今

台湾でカカオ?

そう感じる方が多いのではないでしょうか。

カカオは言わずと知れた、チョコレートの主原料です。アフリカや南米などで育つイメージが強いですが、台湾南部の屏東(ピントン)県は、北緯22度を少し超えるくらいの位置にあり、カカオ栽培ができるのです。収穫最盛期は、4月から6月です。

同時にみなさん、思いませんか?

「メソアメリカ原産で、熱帯の限られた環境下でしか育たないカカオが、なぜ台湾にあるの?」

その理由を考え、カカオが台湾へ渡った歴史を紐解くと、日本統治時代の台湾と日本人の姿が浮かび上がります。それが1927(昭和2)年2月10日に、台湾へ渡った森永製菓の創業者、森永太一郎氏です。

森永村がカカオの歴史を伝える

経済オンラインの記事にまとめましたので、ぜひお読みいただきたいのですが、こちらのチョコレートジャーナルでも、補足で森永村について書くことにします。

「森永村」は、台東の中心部から、車で1時間以上離れた、静かな山あいにあります。

「森永村」の名の由来について、村でレストランを経営している住民は「昔、ここに日本の『森永』の工場と事務所があった。それが村の名前になったのだと、祖父から教わっています」と、教えてくれました。

森永製菓が、台湾でチョコレートの原材料の、カカオ栽培に取り組んだ足跡は、今もひっそりと、現地に残っているのです。

台湾の森永村へ

台湾に、森永村があることを知る人は少ないでしょう。台湾と日本とカカオの関係を知っている人も、同じく少ないと思います。

私が、森永村に足を運ぶと決めたのは、森永製菓の小野隆さんから「台湾に森永村があるんですよ」と聞いたのがきっかけでした。「森永村?」なぜ台湾に?

実際に森永村へ出かけるにあたり、台湾のチョコレートブランド「フワンチョコレート」代表のウォーレンさんと森永の小野隆さんには大変お世話になりました。テオブロマの土屋シェフもご同行いただきました。

どう考えても車かバイクでしか行けない、山あいの「森永村」。ウォーレンさんや小野さん、土屋シェフのご協力があって、私は村を訪れることができました。

森永村はどんなところ?

森永村はどんなところなのでしょうか。初めて見る「森永村」は風光明媚、想像以上に静かなところでした。

台東の中心部から、実際に、車で1時間以上かかる山間部。人の姿がなく、本当にしーんと静かーー。光がまぶしく景色がよく、しばらく深呼吸していたくなるようなところです。

森永村に車が入っていくと、窓からあちこちに「森永」の文字が見えてきます。看板や、表示などですが、最初に「森永村」の文字を見たときは、なんだか涙がでそうなくらい感動しました!

「森永停車場」をみつけました。

そのそばに、森永村の碑があります。立派です。ツボ、蛇、刀は、この地の住民が長年大切にしているもの。

通りで、こんな壁画を見つけました。この地の歴史を伝えています。原住民の方々の衣装もわかりますね。この衣装から、私は南米のカカオ産地を、連想しました。

ちょっと不思議なこともありました。村を歩いて回るうちに、気になる広場があったのです。

誰もいない運動場のような広場に、なぜかしばらく立っていたので覚えているのですが、後で小野さんから伺ったところ、私が立っていた、まさにそこがかつて、森永の大きな工場があった場所だったそうです。すごい偶然ですが、何か感じ入るものがあったのを覚えています。

しーんと、静かだった運動場。かつてそこにあった森永の工場や施設は、のちに、戦争ですべてが壊されたと聞きました。

森永村にある、高原野菜のレストランで

森永村に一軒だけある、レストランのことも書いておきます。

とても美味しいお料理を出すレストラン。写真はオーナーさんです。「森永村のことは、祖父から聞いて知っていますよ」と、気さくに話してくれました。

「このレストランがあった、まさにこの場所に、森永の建物があったと聞いています」とも。このレストランは、森永の建物の跡地だったのかもしれません。これもまたひとつの偶然。

レストランにて、私です。花束のようですが、これはお鍋にいれる高原野菜なのです!

このレストランは、新鮮な高原野菜のお鍋を出しています。カゴいっぱいに入った新鮮な高原野菜を、この黄色いお花も一緒にしゃぶしゃぶのようにいただくんですが、これがもう、もう、もう、とびきりのおいしさで、生命力がアップしたかのように元気になりました。

お鍋のベースはこんな感じ。ここに山盛りの高原野菜をどんどん入れていただくのです。もう一つうれしかったのは、オリジナルのお茶のおいしさ。あまりにも美味しくて、お願いして持ち帰らせていただいたほどです。

台湾にカカオが根付いた

現在の台湾村は、主産業が農業であるものの、カカオは作られていません。

森永村は、森永太一郎氏がカカオを台湾に運び、本格的に台湾でカカオからのチョコレート作りにトライした軌跡。レストランを出て、また少し散策して、村を後にしながら私は車中で、思いを馳せていました。

森永村は今も、静かにカカオと日本の台湾との歴史を伝えています。

森永太一郎氏が台湾に渡ってから90年以上が過ぎた今、カカオの木は、しっかりと台湾の大地に根を下ろしています。主要産地と比べれば、収穫量はごく、わずかですが、現在はビーントゥーバーの流行とともに、台湾産カカオのチョコレートが日本のファンも知られるようになっています。

台湾は、人気の観光地で、おいしいものも、美しい場所もたくさんあります。しかしさらに、実はカカオを通じて日本とのつながりがあると、多くの方に伝わればうれしいです。

台湾へいき「なぜ台湾にこだわりのチョコが売っているの?」と感じた方への答えにもなるでしょう。

日本の洋菓子普及に大きな貢献をした森永製菓の創業者、森永太一郎氏。台湾での活動は太一郎氏の活動のごくごく一部で、後に、日本でのチョコレートの普及に大きな貢献をしています。

太一郎氏の台湾での工程も取材で知りましたが、もう、信じられないくらい活動的でエネルギッシュなのです。知るほどに偉大な、森永太一郎氏の軌跡についても改めてお伝えする機会があればとも、考えています。

*市川執筆記事リンクはこちら。

よし、森永村へ行く、と決めてから、執筆のために森永製菓さんに多大なご協力をいただきました。多くの資料を参照し、これまで全く表に出てこなかった事実や写真を盛り込めたのは、森永製菓さんのおかげです。

台湾のカカオに興味を持つ方、森永村に興味を持った方に、東洋経済オンラインの記事と、この記事が届けば幸いです。

台湾と日本のカカオが結ぶ関係、森永太一郎氏の志も同時にお伝えできればと思います。

text チョコレートジャーナリスト  市川歩美

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