台湾に「森永村」が存在する理由 台湾と日本カカオの歴史

こんにちは。チョコレートジャーナリスト、ショコラコーディネーターの市川歩美です。
4月に台湾南部のカカオ産地、そして森永村を取材しました。情報をまとめ、東洋経済オンラインで執筆しました。ぜひご一読ください。
森永村についての市川歩美執筆記事
私が書いた記事は、以下です。
日本と台湾、「チョコ」が結ぶ長く深い意外な縁
「森永村」で日本人がカカオをつくっていた
東洋経済オンライン
text 市川歩美
森永製菓が、台湾でチョコレートの原材料の、カカオ栽培に取り組んだ足跡は、今もひっそりと、現地に残っています。
台湾に森永がある理由
台湾に、森永村があることを知る人は少ないでしょう。台湾と日本とカカオの関係を知っている人も、同じく少ないと思います。
東洋経済オンラインでは、広くこの事実を知っていただきたいと願って書きました。
執筆には、森永製菓さんに多大なご協力をいただきました。あらゆる資料を紐解き、これまで知られていなかった事実を書いています。
多くの方に、台湾と日本の「カカオが結ぶ」関係、森永太一郎氏の志が伝わればうれしいです。
台湾の森永村へ
森永村に足を運ぶと決めたのは、森永製菓の小野隆さんから「台湾に森永村がある」と聞いたのがきっかけでした。
取材でお世話になったのは、台湾のチョコレートブランド「フワンチョコレート」代表のウォーレンさん、そして森永の小野隆さん、そしてテオブロマの土屋公二シェフです。
ウォーレンさんのおかげで、私は森永村へ、土屋シェフ、小野さんととともに訪れることができました。
森永村はどんなところ?
森永村はどんなところなのでしょうか。
台東の中心部から、車で1時間以上かかる山間部です。とてもしずか。村に到着すると、ほとんど人の姿はなく、風光明媚でした。
車の窓から外をみると、あちこちに「森永」の文字が見つかります。
最初に「森永村」の文字を見たときは、涙がでそうなくらい感動しました!
「森永」という表示。このようにあちらこちらに。
森永村の碑があります。立派です。
ツボ、蛇、刀は、住民がこの地で長年大切にしてきたもの。
こちらは、村の通りにあった壁。かつての森永村の、原住民の方々の衣装が描かれています。
村を歩いて回りました。
ふと静かな運動場のような広場を見つけ、しばらく私はそこに立っていたので覚えているのですが、後でわかりました。そこがかつて、森永の工場があったところだそうです。
しーんと、静かでした。帰国後、思いだすと感じ入るものがあります。施設は、全て戦争で壊されたと聞きました。
森永村にある、高原野菜のレストランで
森永村に一軒だけある、素敵なレストランのことも書いておきます。美味しいお料理をいただきました。
写真はレストランのオーナーさん。「森永村のことは、祖父から聞いて知っていますよ」と話してくれました。
「このレストランがあった、まさにこの場所に、森永の建物があったと聞いています」。このレストランは、森永の建物の跡地だったかもしれません。
レストランにて私です。花束のようですが、これは、お鍋にいれる高原野菜!
カゴいっぱいに入った新鮮な高原野菜を、お鍋にしていただきました。お花も一緒にしゃぶしゃぶのようにいただくんですが、これがもう、とびきりのおいしさで、生き返るかのようでした。
オリジナルのお茶も美味しくて、お願いして持ち帰らせていただいたほどです。
今はカカオは作られていない
現在、この村の主産業は農業で、カカオは作られていません。
台湾南部のしずかな森永村。日本で初めてカカオ豆からチョコレートを作った森永。
村を後にしながら私は車の中で、歴史に思いを馳せていました。
いつかまた森永村にいく日が来るでしょうか。知るほどに偉大な、森永太一郎氏の軌跡についてもいつかまた、みなさんにお伝えできればうれしいです。
*市川執筆記事リンクはこちら。
日本と台湾、「チョコ」が結ぶ長く深い意外な縁
「森永村」で日本人がカカオをつくっていた(東洋経済オンライン)
text チョコレートジャーナリスト 市川歩美