チョコレートジャーナリストの日々 もっと話したい人、いつまでも話したい人 川口行彦さんと

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こんにちは。チョコレートジャーナリスト、ショコラコーディネーターの市川歩美です。

10月の後半になりました。すっかり気温が下がって、チョコレートのシーズン、という感じですよね。クリスマスの気配も感じられてくる昨今です。

毎年のことながら私は、9月後半から慌ただしさを増し、2月14日まで走り抜ける感じになります。

しばらく、関西にいました。東京に戻ってからも様々な案件もに関わり、なんだか体もそうですが、かなり脳を使っています。

結構な勢いで脳を使っているので

「脳がのうーと言っている気がするー」

などと肌寒いことを関係者のみなさんに話し、なごやかに笑いあう、みたいなこも起きています笑

目次

フレデリック・ボウさんとリカさんと

東京に戻ってすぐ、代官山で開催されたフレデリック・ボウさんのイベントに伺いました。

フレデリック・ボウさんは、エコール・ヴァローナの創設者でもある。お隣はリカさん。

フランス「ヴァローナ」社のクリエイティブ・ディレクターを務めるフレデリック・ボウさん。これからは、美味はもちろんのこと、お客様の健康を考えたパティスリーやチョコレートを作っていくことが、作り手の責任である。

この考えのもと、ボウさんは、15年にわたる研究をまとめ、本を出版しました。著書は『Gourmandise Raisonnée(グルマンディーズ・レゾネ)』の完全日本語訳、『美節食 – 新たなスイーツの提案 -』です。

責任について

私もそうなんです。仕事の上で同じように責任を感じるのです。常日頃私が考えている事とリンクしたこともあり、やっと話せる人が、と感激。ボウさんと意見交換もできました。

私は、健康によかったり、人のためになるものを世に出したい。

常日頃からそう考えていますが、これは人それぞれであって、 100%正しい正解はありません。最良の答えはひとつではないのです。実はこういったことを日々考えている私の話を聞いてくださり、大きくボウさんは頷いてくださいました。うれしかったです。

川口行彦シェフも

ボウさん、リカさんとお目にかかるのはうれしいこと。何度お会いしてももっとお話したいのです。そういう方が存在することが幸せ。

会場には、元オリジンヌ・カカオの川口行彦シェフがいらっしゃっていました。フレデリック・カッセルの宮川さんも。

川口シェフとは久しぶりの再会で「あ!市川さん!」と、明るいお声が聞けて、感激しました。川口さんとボウさんは旧知の仲で、親しくフランス語で談笑されていました。

もっと話したい人

私もなんだかんだで、チョコレートの世界との関わりが長くなりました。多くの方と関わり、 これからもずっと、そしてもっとお話をしたいなと感じる方がいらっしゃいます。

そういう方に出会う。それは幸せなことです。

よりうれしいのは、そういう方との関係が長く続くこと。 長い年月、変わらずチョコレートに関わり、同じあたたかで、確かな思いを持っていらっしゃる方の存在です。

一時的にわっと盛り上がるのは、そうめずらしくありません。先細りしないか、長く関わり続けられるかどうか。わかった気になっていないか、相手へのリスペクトがあるか。根本的に何が大事で行動しているのか。

もっと話したいな、また会いたいな、と感じる方との出会いはいつもうれしい。でもそれ以上に、振り返れば長く関わり続けてきた人がいて、しかも変わらずあたたかな思いでつながっている。そんな方の存在がきらめくように貴重です。

チョコレートやカカオに関わる「オールウィン」な姿勢を持つ方を尊敬しています。そういう方と同じ時代を生きていることを幸せに思うのです。

2024年夏(追記)

最初にお会いした頃から、川口さんはおやさしかったです。

私がチョコレートを仕事にし始めた頃から「市川さんさあ」なんてやさしく声をかけてくださって、なんでも教えてくださいました。最後にお会いしたときも、川口さんはにっこり笑って、ちょっと笑っちゃうようなお話しをしてくださいました。

ちょっとだけ、川口さんのことを書きます。

私にはやさしくても、仕事には大変厳しい方だと伺っていました。私などのことは「チョコ好きで、がんばっているかわいい(まだまだおさない)女の子」みたいなものだと、多くを大目にみてくださっていたのでしょう。

ご本人には直接伝えていないとしても、私はかけてくださった愛情をずっと覚えています。

私の取材には、いつも親切に応じてくださいました。私が書いた記事に対して「(いろいろ思う人がいたとしても)市川さんがそう思うならそれでいいんだよ」とおっしゃっていたと、人づてに聞いたことがあります。私は川口さんが、人のことを悪くいうのを、一度も聞いたことがありません。

LINEやメッセンジャーでは、ユーモアのあるメッセージをよく送ってくださって、延々それが続いて終わらないこともありました。私が海外に行くとわかると、それならこの人にあったらいいよ、とすぐご連絡をとってくださったり、すぐその場でお電話してくださったこともあります。

ご体調のことも伺っていましたが、なるべく明るく私にメッセージをくださっているのがわかりました。

川口行彦さんは2024年8月13日に、天国へ旅立たれました。ずっと心の中にとどめていたけれど、やっぱり記しておこうと思いました。私のようなチョコレート愛好家は、きっとみんな、川口さんのショコラが大好きだったからです。

日本で初めてパリ風のショコラを製造・販売した、和光の初代のシェフだった川口さん。ラ・メゾン・デュ・ショコラで学び、和光のショコラの礎を作りました。ルレデセールの会員であり、日本のショコラティエの先駆け。

川口さんは「僕は仕立て屋さんだから」とおっしゃる方でした。ご自身が「よいチョコレートを作るプロの職人である」という立ち位置を、一切揺らすことのない方でした。

いまはSNSが華やかです。「仕立て屋さん」が目立たない時代になったかもしれません。川口さんをもしかしたら知らない人も多いかもしれません。振り返れば長くチョコレートを見続けてきた私は、川口さんのことを、日本のチョコレートを語る上で欠かせない人であることを伝える役割があると思っています。

ちょうど日本とチョコレートをテーマに本を執筆しているときに、川口さんは旅立っていかれました。タイトルは「チョコレートと日本人」と決まりました。12月に出版されたら、すぐ川口さんに届けようと決めていたのに。

自由が丘のお店へいくと、いつも礼儀正しくておやさしくて、いつもにっこり歓迎してくださったな。銀座や新橋のお店でも、いつだってそうでした。

私はビーントゥバーなんて言葉がない頃から、ずっと昔から、カカオパルプを知っていました。それはオリジンーヌ・カカオのカウンターで知ったのです。

ケーキのショーケースはいつも輝いていました。いつまでもやさしくしてくださったこと、そしてショコラが美味しかったことを忘れません。こんな私を最初からいつも大目にみてくださって、変わることなく可愛がってくださってありがとうございました。なんだか私なんかが、と思ってしまって、やっぱり、あまりうまくかけません。

text & photo

チョコレートジャーナリスト 市川歩美

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