こんにちは。チョコレートジャーナリスト、ショコラコーディネーターの市川歩美です。
今日はチョコレートジャーナリストの日々、お正月明けにふと思う、として、徒然に。
緊急事態宣言により1つ仕事がキャンセルになり、その分、少し余裕ができました。
一旦立ち止まって振り返ったら、自分で追いかけ切れない位いろいろなことをやっていて、客観的に見てびっくり。シンプルにすごいなーこのひと、とか思ってしまいました。
人のことは、表に出たごく一部が見えるだけ。わかっているようで全くわからないものなので、安易に判断しませんが、自分のことは自分が一番よく知っていますからね。
私の場合、取材で多くを食べ多くを知りますが、書いたり話すのは、そのうちのごく一部です。
例えば、今日どこで何を食べたかをリアルタイムにSNSにあげることはあまりないですし、実際、チョコレートジャーナルになんでも書きたいわけではありません。
今日も初めてであったチョコレートが興味深くて。ほんと、知らないことばかりですね、知っても知っても。
マルゥのこと
ところで、どなたかがお亡くなりになったとき。私は、思いが深ければ深いほど、親しければ親しいほど、何も書けません。
もし、自分がそこまで関係が深いのでなければ、SNSに書いたりもせず、より近い方を思い心にそっと思いをとどめるのですが、私宛に何人かからご連絡があり、気になっている方がいらっしゃることがわかりましたので少しだけ、書きます。
先日、マルゥの創業者のおひとり、サミュエル・マルタさんがご病気で亡くなりました。
私は、何度かサミュエルさんにお会いしたことがあります。ベトナム(ホーチミン)のレストランで、サミュエルさんと素敵な奥様やご家族と一緒にお食事したのは、楽しい思い出。私はいつもよりずっとたくさん笑いました。そのくらいです。
インタビューは、もうひとりの創業者のヴィンセントさんにしたことが多く、サミュエルさんとも何度かもちろんお話していますが、私はそれで何かを外にむけて語れるような立場ではないと思っています。
ただ、思い出の中のサミュエルさんは、なんとも明るい表情ばかり。こういう方が関わっているチョコレートなのかと、私はうれしく感じていました。
マルゥのチョコレートは、日本に入ってきた時から好きで、初めて味わったのは、日本経済新聞のランキングの審査。きらりと光り、カカオが生きていると感じたのを覚えています。
日本に最初にマルゥをご紹介された方は、お二人のお知り合いの日本人男性です。ベトナムと関りが深い方で、とにかく一生懸命、マルゥを日本に定着させようとがんばっていました。チョコレートが日本で知られるようになるまでには、それはそれはいろいろな思いや、出来事や長いストーリーが見えない向こう側にあるのです。
ベトナム取材は発見が多く、よい経験となりましたが、それはマルゥに関わるみなさんのおかげでした。そのときに書いた記事は以下です。
https://allabout.co.jp/gm/gc/468379/
人の命は永遠ではなく、これは誰にも平等ですが残したものは永遠ですね。
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チョコレートジャーナリスト 市川歩美