こんにちは。チョコレートジャーナリストの市川歩美です。
2022年7月31日の日本経済新聞「NIKKEI The STYLE」で、沖縄のジャーマンケーキについて記事を書きました。沖縄を取材し、沖縄への想いをこめてかきました。
(*2023年8月にNHKの「グレーテルのかまど」で放映されたのはこのケーキです)
一面を使った大きな記事ですので、すぐわかります。ぜひご一読ください。
ジャーマンケーキとは
ジャーマンケーキは、本土ではほとんど知られていませんが、沖縄に暮らす人なら知らない人はいないケーキです。「本土でいうショートケーキくらいメジャーなケーキ」と教えてくれた沖縄の方もいました。
ジャーマンといっても、ドイツとの関係はなく、アメリカで親しまれているケーキ。ジャーマンは、このケーキを初めて作った人の名、サミュエル・ジャーマン(Samuel German)に由来するとされています。
チョコレート味のスポンジに、ココナッツのペーストをのせ、クリームをサンドするのが一般的な形。沖縄県内の洋菓子店などでお馴染みですが、お店によって様々なアレンジがあります。
沖縄ではお祝いや内祝いにこのケーキが選ばれたり、家族やみんなで集まったときにジャーマンケーキのホールケーキ を買って味わうことが多いそうです。
ジミーのジャーマンケーキの特徴は?
ジミーのジャーマンケーキの特徴は、ココナッツのシャリっとした食感を残し、砕いたくるみを加えて練乳で炊いた「フィリング」と呼ばれる甘いペーストです。
ソフトなココア風味のスポンジに「バニラバタークリーム」と呼ばれる自家製バタークリームをサンド。ケーキのサイドに自家製チョコバタークリームを塗って、細かいスポンジのクラムをつけています。
ジミーのジャーマンケーキは1956年ごろ生まれた
沖縄県に暮らす方には、おなじみのスーパーマーケット「ジミー」は沖縄県内に21店舗を展開、第一号店は宜野湾市大山にあります。
ジャーマンケーキは、創業当時からの看板商品。
ジミーがジャーマンケーキを製造販売をはじめたのは、1956年に宜野湾市に創業者の故・稲嶺盛保さんが開いたマチアグヮー(食品や雑貨などを売る商店)「ジミーグロセリー」であると伝えられています。
ジミー大山店でジャーマンケーキとアイスコーヒー
詳しくは、日本経済新聞の記事をお読みいただくとして、ここからは取材こぼれ話や、私が撮影した写真などをご紹介しますね。
ジミー大山店のカフェスペースで、ジャーマンショートとコーヒーをオーダーしました。
「ジャーマンショート」は、ジャーマンケーキを一人用サイズにしたもの。トップにバタークリームが余分にしぼってあるので、クリーム好きな私はご機嫌に!ジャーマンショートは沖縄でないと食べられません。
ジミーの社長、稲嶺盛一郎さんから「沖縄では多くの方がお菓子と一緒にお茶よりもコーヒーを飲むんですよ」と伺ったので、しっかりコーヒーをチョイス。私はコーヒーは必ずホットですが、あまりの暑さにアイスを選びました。ジミーのコーヒーは美味しいですよ。風味がよいのです。
ジミーのロゴ
私はジミーのロゴデザインが好きです。由来を稲嶺社長に伺うと「レイ吉村さんのデザインです」とのこと。
なんとびっくり、レイ吉村さんは、東京都のあの銀杏のシンボルマークや、ダイエーのマークなどを手がけた有名なデザイナーです。デザインをお願いした当時、レイ吉村さんはニューヨーク在住だったそう。
シーサーやお花
ジミー大山店で屋根を見上げたらシーサーをみつけました。夏の日差しの中で、店を守っているようでした。
太陽の日差しがギラギラと強く、花や緑が色濃いです。道端で植物たちを前に、何度も立ち止まりました。
それにしても沖縄は私という人間を、映し出すのでした。
沖縄にいる限られた時間を少しでも有効に使おうと、東京と同じ調子で動き廻ろうとしても、どうもうまくいかないのです。バスは定刻に来ない、いつもどおりに全然進まない。まあ今朝はいいや、とうろうろ散歩に出たら、足の脛を石にぶつけ、酷く擦りむいたりして。
「日本から一定のスケジュール、われわれの時間の観念を手荷物みたいに持ってきて、沖縄という天地に割り込ませようと一人で地団駄ふんでいる。その方がはるかに滑稽だったのかもしれない」(岡本太郎「沖縄文化論」)
片足だけパンツの裾を膝までまくって、Googleマップ片手に「近くに薬局が一軒もない(泣)」と絶望していた私は、思いかえせば恥ずかしいほど滑稽です。
日本経済新聞の記事はここから
紙面とともに、日本経済新聞電子版に掲載されました。どなたでも読めます。以下のリンクから未読の方は、ぜひ読んでください。
沖縄本土復帰50年。この記事の取材日は慰霊の日でした。ジャーマンケーキのこの記事は、ひとりの沖縄の青年の話でもあります。
ジャーマンケーキをテーマに、と決めたものの、メディアの情報が殆どなかったため、ジミーに関わる情報などは、地道に一から集め、時間をかけて丁寧に現地で取材しました。
中学生で戦争が始まり、卒業できずに終戦を迎え、16才で基地で働き始めたジミーの創業者・稲嶺盛保さん。アメリカの豊かな食事に憧れた青年が店を開き、売り始めたジャーマンケーキのストーリー。私の心に響いたように、みなさんの心に届けば幸いです。
text & photo 市川歩美